『フレンチ・ランチ』

「食事はフレンチだから」
 ユキオにそう言われ、思いっきりドレスアップした私が連れて来られたのは、『洋食フレンチ』という暖簾のかかった店だった。一度きたら二度と忘れられない、というよりも、忘れたくても忘れられなくなるような、そんなみすぼらしい店だった。

 店に入ると、カウンター席の中年客と目があった。汚れきったランニングシャツを着て、端のほつれたタオルを鉢巻代わりに巻いた肉体労働者風味な彼は、可哀相なものを見るような目で、私のノーベスパジオ・プリモのシルクのドレスを見ていた。
 私はあきらかに浮いていた。恥ずかしかった。それ以上に腹立たしかった。思わず帰りかけたけれど、ここで帰ったら私の負けだな、なんて思って、歯噛みしながらもテーブルについた。
「なんでフレンチなんて紛らわしい名前つけてんのよ」私は声を殺し、ユキオに対する殺意も押し殺しながら訊ねた。
「店主の奥さんがフレンチ人らしいんだよね。見たことないけど」
 フレンチ人って。
「おそ松くんって漫画知ってる? あれにイヤミって名のフランス帰りの男が出てくんだけど、そいつ自分のことミーって呼ぶんだよ。ミーって英語だっつうの。それじゃアメリカ帰りだよね」
 ユキオは自分がさも面白いことを言ったかのように、ひとりげらげらと笑った。
 ふん。私は鼻を鳴らし、油染みのついたメニューを手にとった。
 メニューを見て驚いた。野菜のコリアンダー風味エシャロットクリーム、フォアグラのソテー桃のグラタン添え、仔牛のノワゼットのソテーマッシュルームソース。店構えからは想像できない本格的フレンチメニューだった。
 ……というオチでもあれば救われたろうけれど、そんなことはまるでなかった。メンチカツ(豚)定食、和風ハンバーグ(豚)定食、チキンライス(豚)、本日のお得ランチ(豚)。メニューのラインナップはフレンチレストランというよりは洋食屋、ではなく定食屋。まさに大衆定食屋ど真ん中なメニューばかりだった。
「……豚ばっかり。って、なによチキンライス(豚)って。それじゃポークライスじゃないの」
「お、ホントだ。ケチャップライスって書きゃいいのにな」
 意味不明に笑うユキオ。私の苛立ちがさらに募る。

 運ばれてきたチキンライスは、大量の油でべっとりと重かった。スープには箸で触れただけで崩れ落ちるキャベツのかけらが浮いていた。
 私の腹立たしさはピークに達していた。何が腹立たしいって、こんな料理でさえ美味しく食べることができてしまう私のバカ舌に対してだ。
「おいしいでしょ」ユキオは店に入って以来、うれしそうな表情を崩さずにいた。というか、うれしさのあまり表情を崩しっぱなしという感じだ。「マユミさんってさ、いつもおいしそうに食べるじゃん? おいしそうな顔とうれしそうな顔って同じだよね。おれ、マユミさんのうれしそうな顔見ると、すげーうれしくなっちゃうんだよな」
「私がうれしい顔してるって?」尖った声で訊ねた。
「うん」ユキオは子どもみたいにうなずいた。
「ばっかじゃないの」私はべたべたしたチキンライスを口に運んだ。

 私たちは時間をかけて食事をした。まるで本物のフレンチを食べるかのようにゆっくりと。
 のんびりと食事をする私たちを、店の人はなんら咎めることはなかった。
 たっぷり一時間半かけて食事を終えた。ユキオは生まれて初めてもらった給料袋からシワだらけの千円札を三枚出して支払った。
 レジに立っていたのは店主の奥さんだった。全然フレンチ人じゃなかった。これでもかってくらい日本人顔だった。
「お店の名前、なんでフレンチってつけたんですか?」私は思い切って訊ねた。
 奥さんは笑いながら答えてくれた。
「ちっちゃい頃の私ね、フランスギャルって歌手に憧れててね、夢はフランス人になることだったのよ。母親にこんなこと言って怒ったことあるのよ。なんで私のことフランス人に産んでくれなかったのよ! なんてね。バカみたいよね」
 うれしそうに笑う奥さんを、厨房の中の店主がもらい笑いしたように笑って見ていた。

 店を出ると、ユキオが振り返って言った。「いい店でしょ?」
「どこが」思いっきり不機嫌な声で答えた。
「こんな店、絶対に忘れられないでしょ? 二十年くらい経ったら、おれたち今日のこと思い出して、きっと思い出し笑いしちゃうんだぜ」
 こんな店に連れて来ておいて、ふたりの関係がこの先もずっと続くと信じて疑わないユキオ。本物のばかだ。
「コーヒー飲みに行こうよ。近くにドトールあったしさ。おれ、割引券持ってんだよね」
 ユキオはそう言うと、私と手をつないで歩き出した。
 私は手を振り解こうとしたけれど、すぐに思い直した。
 まあ今のうちよ。せいぜい楽しい気分を味わってなさいよ。
 私は、別れを切り出されて情けない顔をするユキオを想像した。なんだか愉快になって笑ってしまった。
「それ。その顔。おれ、マユミさんのその顔が、いっちばん好きなんだよなあ」
「ばっかじゃないの」
 今度付き合う相手は、給料が手渡しなんかじゃなく銀行振り込みになっているような、そんなちゃんとした会社に勤めているオトコにしよう。
 なんて考えながら私は、十二歳年下のユキオの手を握り返した。  (了)

【 2006/12/22 】
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『恋人はサンタクロース』

 ママがサンタにキスをした。
 夜中、おしっこがしたくなって階下に降りたあたしは、その現場を見てびっくり仰天した。そしてあたし以上に仰天したのは、たまたまその時間に帰宅したパパだった。
「お、おまえ、俺が働いてる間に何てことを!」
「あ、あなたが悪いのよ。ゴルフだ接待だキャバクラだって、仕事にかこつけてやりたい放題! あたしの寂しさになんか、これっぽっちも気づいてなかったでしょ!」
 そんなパパとママのやりとりを眺めるサンタさんは、頭をぽりぽりかきながら「まいったなあ」とでも言いたげに苦笑いを浮かべていた。
「キ、キサマ、なに笑ってやがんだ!」
 パパが怒りの矛先をサンタさんに変えた。
「そうよ! 部外者みたいな顔しちゃって!」
 ママも尖った視線をサンタさんに向けた。
「サンタさんをいじめないで!」
 あたしは生まれて初めてパパとママに怒鳴り声をあげた。ああ、これが学校で先生が言ってた「反抗期」ってやつなのかもしれない。
「とりあえず座りましょうよ」サンタさんが言った。「立ち話もアレだし。アレっつってもアレのことじゃないですよ。なんてね。あははは」
 パパとママの目には、プチ殺意みたいなのが過ぎっていた。

 あたしたちはリビングの床に車座になった。家族プラスワンの家族会議が始まった。
「オトナの話だから。部屋へ戻って寝てなさい」
 パパにそう言われたけれど、あたしは頑として拒んだ。サンタさんに関するなら、むしろ子どもの話だと思ったからだ。あたしの熱意に気おされたのか、パパは渋々ながらあたしの参加を黙認した。
 パパはサンタさんを指差して、ママにこう訊ねた。
「まずはこの男が誰なのか説明してもらおうか」
 本人を目の前にしているのに、なぜママに訊ねるのだろう。
 ママもママで、分かりきった答えをなぜか言いよどんでいる。
 あたしはしびれを切らして口を開いた。
「サンタさんに決まってるじゃないの!」
 そこでふと、数日前にパパに否定された質問を思い出した。その質問をふたたび投げかけてみた。
「やっぱりサンタさんなんてこの世にはいないの?」
「ば、ばか。サ、サンタさんだよ。この人は紛れもなくサンタさんだよ。ははは。いやあ、パパ、変なこと言っちゃったなあ。ははは」
 パパはぎこちなく笑った。
「そ、そうよ、ただのサンタさんよ。おりこうにしてたウチの子に、サンタさんが来てくれたってだけの話でしょ。なのにあなたったら怒ったりして。やだわ。おほほほ」
 ママはかいてもいない汗をエプロンでぬぐった。
「……調子に乗るなよ」
 パパが、駄菓子屋のゲンバアみたいな恐ろしい顔でママを睨みつけた。ママの笑いが一瞬にして凍りついた。
 ゲンバアはこの世で最も恐ろしい人間だ。もしかしたら人間じゃないかもしれない。クラスのみんなの間では、万引きを見つかると生きたまま食べられてしまうと噂されている。
 ――パパもサンタさんを食べてしまうんじゃないだろうか。
 ふいに浮かんだ恐ろしい考えに、あたしの膝が震えだした。
 なのにサンタさんときたら。耳をほじったり、爪の甘皮を剥いたり。はては冷蔵庫の中を断りもせずに物色し始めたりなんかして。怯えるどころか緊張感のかけらもなかった。
 すごい。さすがサンタさんだ。
「ダンナさんはビールでいいのかなあ?」
 サンタさんは、能天気な声でパパに訊ねた。
「マナミさんはいつものようにワインですよね」
 今度はママに向かって訊ねるサンタさん。
「マナミ? マナミだと!」突然パパが噴火したような怒鳴り声をあげた。
「あ。いや。ヤ、ヤマサキさんの奥さんはワインでよろしかったでしょうか?」さすがのサンタさんも、少ししどろもどろになった。
「そういうことを言ってるんじゃない!」パパはゲンバアそのものの表情でママに詰め寄った。「よそじゃマナミなんて名乗ってるのか! ええ? ウメコ?」
 ママはパパの口を手で塞ごうと飛び掛った。ママの手を乱暴に払いのけるパパ。取っ組み合いのケンカが始まった。
「まいっちゃったなあ」
 サンタさんは呆れ笑いを浮かべた。それからしゃがみこんで、目線の高さを合わせてあたしを見つめた。
 パパ以外のオトコの人の目がこんな至近距離にあるなんて、あたしにとって生まれて初めての経験だった。あたしの心臓が、筋肉痛になっちゃうくらい激しくどきどきした。
「おれ、帰るわ。ママによろしくね」ポケットをまさぐるサンタさん。「それとこれ。持って帰ってもしょうがないからさ。お嬢ちゃんにあげるよ」
 差し出された手のひらには小さな箱が乗っていた。箱の中には光る石がついたピアスが納められていた。あたしが持っているおもちゃの宝石なんかとは違う、とても深くて、とても澄んだ光を放つ、気持ちをわしづかみにしてしまうような石だった。
「んじゃま、そういうことで」
「待って!」あたしはサンタさんを呼び止めた。「来年のクリスマスも来てくれる?」
 サンタさんは少しだけ考えてから言った。
「お嬢ちゃん、今何歳?」
「九歳」
 なぜだかあたしは、ひとつ多目にサバを読んでしまった。
「じゃあ九年後のクリスマスだな。それまでにこのピアスが似合うようになってろよ」
 サンタさんは軽くウィンクをしてみせた。
 あたしは、立ち去るサンタさんの背中を見つめながら、ピアスをぎゅうっと握り締めた。激しくどきどきする心臓は、まるで壊れちゃったみたいだった。実際に壊れていたのは、パパとママの夫婦関係だったのだけれど。
 パパとママのののしりあいはいつまでたっても止みそうになかった。オトナってなんだか難しくてめんどくさいなあ。そう思いながらもあたしは、自分もはやくオトナになって、難しくてめんどくさいオンナになりたいなあ、なんて考えていた。    (了)

【 2006/12/19 】
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